鬼子母尊神

 法華経で擁護を誓い、大蔓茶羅ご本尊に勧請され、一切の鬼神を子とする鬼子母神(本来は、一画目のない『鬼』の字を使用)は、法華経本門において末法相応法華経の題目受持信仰する者の善神祈祷本尊として信心の対象本尊となります。

 鬼子母神の誓願は法華経を通しての国土安穏と法華経本門の題目信行受持の者の擁護にあります。

 立正寺では、宗祖日蓮大聖人開宗七五〇年「立正安国論」進覧七五〇年(平成二十一年七月十六日)を奉讃し、新本堂建立の機会を得、宗祖日蓮大聖人の御遺命

「菩薩行の実践・題目下種による衆生済渡」末世末法 広宣流布に末法相広祈祷本尊法華経本門上行体内

 鬼子母尊神(本来は、一画目のない『鬼』の字を使用)を御奉安いたしました。

祈祷本尊としての鬼子母尊神奉安

 彿師「木村鶴光」師により、はからずも和木にして悠久の時間を経た古木「白檀」にめぐり合い、信力を入れて入刀致しました。
眼光鋭くも、「忍」の一字をもってご尊体の奥深く功力を秘めています。

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七福神

 立正寺に来臨まします七福尊神は、法華経中に説示される「七難即減・七福即生」に基づき、お参りされる方々に本佛の無量の智慧を授け、仏道に入らしめることで福徳をもたらし、増益寿命にして、災難を除いて下さる諸天善神です。

恵比寿尊神

恵比寿尊神

遠く海より来たりて、豊作と福徳をもたらします。

大黒天尊神 毘沙門天王 弁才天尊神
仏法の守護神として一家の大黒柱を表し、敬うものに富と福をもたらします。 古代インドの守護神にして仏法の守護神北方に位置し、財や富をもたらし悪鬼を滅ぼす尊神です。 七福神の中でただ一人の女性。「聖なる水」より食物や富をもたらし、生命を養う「妙なる音」を奏でる仏法の守護神です。
布袋尊神 寿老人尊神 福禄寿尊神
中国実在の高僧にて、弥勒菩薩の化身、無欲で正常な心を授けて下さいます。 巻物を結んだ杖を持ち、三千年の長寿の象徴の鹿を連れた姿で延命長壽を約束して下さいます。 延命長壽を約束し人徳を象徴する尊神。南極星の化身といわれる。

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浄行菩薩(じょうぎょうぼさつ)

 本仏釈尊が久遠の昔成道した時の最初の弟子で、本仏の所化(弟子)本化の菩薩といいます。

法華経の第十五、従地涌出品に説示され、大地の底より涌出(ゆじゅつ)した菩薩であるから地涌(ぢゆう)の菩薩ともいい、その数六万恒河沙(ごうがしゃ)という無数で、その上首を上行(じょうぎょう)、無辺行(むへんぎょう)、浄行(じょうぎょう)、安立行(あんりゅうぎょう)の四菩薩(しぼさつ)といいます。

 この菩薩は久遠劫(くおんこう)の過去に、本仏釈尊によって妙法蓮華経の仏種(ぶっしゅ)が植えられ、それより妙法蓮華経を聞信口唱(もんしんくしょう)し、また他にもこの妙法蓮華経を弘通し、この自行化他(じぎょうけた)の修行を持続し来(け)り、信仰を成満(じょうまん)した大智慧、大神力、大忍辱(にんにく)をお持ちになっている大菩薩にして一切衆生救済の導師であります。

 ことには浄行菩薩さまは、「浄行さま」と呼ばれ、身体の汚れを水で清め、さらに自分の身がわりとして水で洗ったり、水に流したりして災難や病痛を取り除いてくださる「なで仏(ぼとけ)」「あらい仏(ぼとけ)」さまとして除病得福の信仰の対象です。

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常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)

 法華経の常不軽菩薩品第二十に説かれ登場する菩薩比丘(びく)であります。

 正法の時代も過ぎ像法の世に増上慢の比丘が勢力を恣(ほしいまま)にしていた頃、不軽と名付くる一人の菩薩比丘があって、比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷の四衆と出会う度に礼拝讃歎して、人間には必ず「仏性(ぶっしょう)」有りの意を込めて、「我深く汝等を救う敢て軽慢(きょうまん)せず、所以は何ん、汝等皆菩薩の道を行じて、當(まさ)に作仏することを得(う)べし」―漢文では二十四字―といい、記別(きべつ)(成仏の保証)を授けました。
 しかし、この不軽菩は「読誦経典を専らにせず、但(ただ)礼拝(らいはい)を
行じる。―但行(たんぎょう)礼拝(らいはい)が読誦経典と同じ功徳を招くの意―のみならず遠くにある四衆に向かっても、前述の二十四字「我深敬汝等(がじんきょうにんとう)…」と讃歎受記しました。四衆の中の心不浄なる者は、不軽菩薩のみだりに二十四字の記別(きべつ)を授ける行為に瞋(いか)りの心を起し、「悪口罵詈(あくめり)」し、「杖木瓦石(じょうもくがしゃく)を以て之を打擲(だやく)」する者さえありました。にもかかわらず不軽菩薩は礼拝讃歎の行―但行礼拝を止めようとしませんでした。この不軽菩薩は臨終に際し天の声として、法華経の受持と、六根清浄を得て人々のために広く法華経を説き作仏(成仏)を得ました。
 さらに不軽品では続けて「爾(その)時の常不軽菩薩とは豈に異人ならんや、即ち我身是れなり」として、不軽菩薩こそが今の釈迦牟尼仏であると、その前生―本生、ジャータカ―を物語っています。

 また、宗祖日蓮大聖人は、法華経の行者としての御自覚から、不軽品の経文を全面的に自己の信仰実践の規範としています。例えば「彼(かの)(不軽)二十四字と此(この)(日蓮・妙法)五字と其(その)語(ご)ことなりといえども、其(その)意(い)これに同じ」 「彼(かの)(不軽)像法(ぞうぼう)の末と是(日蓮)末法(まっぽう)初(のはじめ)とは全く同じ」 「邪智謗法(じゃちほうぼう)の者多き時は折伏を前(さき)とす、常不軽品のごとし」 などと展開しています。

 日蓮大聖人は自己と不軽菩薩との「受難」についてどうみられておられたか。
「建長五年四月二十八日……大衆にこれを申しはじめて、其後二十余年が間退転なく申す。 或は所を追い出され、或は流罪等、昔は聞く不軽菩薩の杖木等を、今は見る日蓮が刀剣に当る事を」(定遺一一三四)
と示されています。これは日蓮大聖人が自信と不軽菩薩とに共通する法難を媒介として、不軽菩薩に対し緊密な精神的親近感を抱き、現前の法難という事実に直面して、これを正当化し、発奮させるものは、不軽菩薩の本地である教主釈尊さえも難行苦行されたという事実以外にはないのです。
 つまり、日蓮大聖人にとって不軽菩薩の忍難こそが、心の糧であり、因行においても得道においても同じ道を歩んで来たのだが、一点相違するのは法難の種類です。それは、「杖木(じょうもく)」と「刀杖(とうじょう)」との違いです。
 不軽菩薩の行が法華経の如説修行であるならば日蓮大聖人の行も当然閻浮提第一の法華経の行者による如説修行であります。